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長野地方裁判所飯田支部 昭和33年(ヒ)5号 決定 1958年12月23日

申請人 神谷新吉

被審訊人(取締役) 川上功 外一名

主文

本件申請は却下する。

理由

(申請の趣旨)

丸桝醸造株式会社の一時取締役及び代表取締役の職務を行うべき者の選任の裁判を求める。

(申請の理由)

一  申請人は、丸桝醸造株式会社の株主である。

二  丸桝醸造株式会社は昭和二七年四月一日の設立にかかり、設立当初の取締役は神谷義助(現在勘左ヱ門と改名)、神谷新吉、川上功の三名、代表取締役は神谷義助であつた。右の設立当初の取締役の任期は遅くとも昭和二八年五月末日迄に開催せらるべき同年三月期の決算書類承認のための定時株主総会の終結の日を以て満了している。

三  然るに会社は取締役選任の手続を経ぬまゝに昭和三一年に至り、同年九月二五日臨時株主総会を開催したる如く仮装して「神谷義助、神谷新吉、川上功、小寺正治及び西田憲蔵の五名を取締役に選任した」る旨の議事録を作成し昭和三一年一〇月六日その旨登記した。この不実虚偽の選任決議については申請人より提起した昭和三二年(ワ)第一二号株主総会決議不存在確認の訴が目下繋属中である。

四  会社は昭和三三年五月二七日第六回定時株主総会において、同日付辞任した神谷義助、川上功、小寺正治及び西田憲蔵を再選した。この株主総会の選任決議については、申請人より提起した昭和三三年(ワ)第四四号株主総会決議取消の訴が目下繋属中である。

五  昭和三三年一〇月二四日小寺正治及び西田憲蔵は辞任し同年一〇月二七日その登記を了した。更に取締役神谷勘左ヱ門(旧名義助)は昭和三三年一一月一〇日贈賄及び公文書不実記載罪により、長野地方裁判所飯田支部において、懲役一年執行猶予二年の言渡を受け、同月二五日その刑は確定した。従つて刑法施行法第三七条・第三六条及び旧刑法第三一条並びに同三三条により同人は同日を以て株式会社の取締役の資格を喪失し、同日付取締役を退任したこととなる。(大正一四年四月二四日大審院民部二部決定)

六  よつて丸桝醸造株式会社は全取締役を欠くに至つている。そして、任期満了あるいは辞任した取締役としては川上功、小寺正治、西田憲蔵及び申請人の四名を数えうるが、小寺、西田両名は何れも不存在または取消さるべき決議により選任せられたものであり、昭和三二年(ヨ)第五号、昭和三三年(ヨ)第二四号により職務執行停止の仮処分中の処、刑事事件と関連して辞任したものの如くであり、また申請人は前記「株主総会決議不存在」及び「株主総会決議」取消の訴において主張する通りであるから、任期満了後取締役の権利義務を有するものは川上功及び申請人の両名のみである。

七  以上の理由により丸桝醸造株式会社は、昭和三三年一一月二五日以降、法律に定めたる取締役及び代表取締役を欠くに至り、かつ、前記の事情から早急に後任者の選任の行われる事情にないので商法第二五八条により、一時取締役並に代表取締役の職務を行うべき者の選任を求める次第である。

(判断)

一  申請理由第一項から第五項前段までの事実は、いずれも、当裁判所が既に職務上知り得たところであるから、理由の有無は、もつぱら、その第五項後段即ち神谷勘左ヱ門が懲役一年・執行猶予二年の有罪判決を受け、これが確定したことによつて、当然株式会社取締役の資格を喪失するとの主張の当否にかかつている。その主張を詳細にすると、旧刑法第三一条第八号の「……会社……ヲ管理スルノ権」とある部分(以下単に第八号と略称する。)は、刑法施行法第三七条により現在も効力を有するが、株式会社取締役の地位は右の会社管理権者たることを意味するから、これは旧刑法第三一条・第三三条の公権であり、従つてまた刑法施行法第三六条の公権である。故に同条の適用によつて公権が停止せられると共に取締役たるの資格が喪失せられる、ということになる。以下これについて当裁判所の見解を明らかにしよう。

二  刑法施行法第三六条の停止の対象となる公権の内容を旧刑法第三一条によつて説明し得るのは、右施行法第三七条が旧刑法第三一条・第三三条の効力を存ぜしめている場合に限るが、右施行法第三七条はその要件として、「他ノ法律中旧刑法第三一条又は第三三条ノ規定アル為メ人ノ資格ニ関シ別段ノ規定ヲ設ケサリシ場合」との表現を取つている。明治三二年の公布にかかる現行商法が右施行法第一条にいわゆる「他ノ法律」にあたることは疑がないが、では、商法上株式会社取締役たるの資格については――ことに右の旧刑法の二条文のある為に――別段の規定がないと言えるかどうかは疑問なしとしない。何となれば、商法第二五四条第二項の如きも資格に関する規定と言えないわけではないし、そうでないとしても、この条文からも窺える様に、現行商法は株式会社の取締役に対し(自然人たる以外)特別の資格を要求していないのであつて、「別段ノ規定」がないのは、単にその必要がない為であり、「旧刑法第三一条又ハ第三三条ノ規定アル為」ではないと解する余地があるからである。

三  もつとも旧刑法第三一条第八号には「……会社……ヲ管理スルノ権」という文言が存するのであるから、その意義いかんによつては、右の様な解釈は許されないことになろう。現行商法は当初からこの文言を自らの不備を補うものとして予定していたのかどうか。まず右の文言中の「会社」が何を意味するかを見よう。案ずるに、旧刑法は明治一三年七月太政官布告第三六号として公布せられたものであるが、明治初年における会社制度の形成は、資本主義体制への強い国家的要求からする政府の啓蒙指導と保護監督の下に、遂行されたものである。旧刑法公布当時は、明治一一年七月の太政官達、同一三年三月の東京府甲第二一号布達によつて、東京府内においては、銀行等の特殊な会社を除き、一般に会社の自由設立が許されていた様であるけれども(講座日本近代法発達史第一巻財産法第四章第二節参照)、そのことが必ずしも民間資本のあり方に対する国家の積極的な関心の欠如を物語るものでなく、単に法制の未整備に由来するものであつたことは、数次にわたる会社条例制定への動きの後、明治二三年法律第三二号として公布施行せられた旧商法の第一五六条が「株式会社ハ……政府ノ免許ヲ得ルニ非サレハ之ヲ設立スルコトヲ得ス」といわゆる免許主義を明言していることからも窺えるところである。旧刑法第三一条第八号が「会社」の管理権を「公権」の中に数えているのは、当時は民間資本への高度の国家的関心から、個々の会社企業が公的色彩を帯びたものとして把握せられていたことを反映すると言えよう。

四  ところで、現行商法は会社設立の自由性に向つて更に一歩を進め、いわゆる準則主義を採用しているのであり、この点右の国家的関心は――全体としての会社のもつ社会的国家経済的重要性に対する顧慮はともあれ、個々の会社一般に対しては――著るしく後退していると言わなくてはならない。この相違を無視して旧刑法第三一条第八号にいわゆる「会社」は当然現行商法・有限会社法上の会社を意味すると解することは穏当を欠くであろう。

五  更に、一応右の「会社」とは現行商法上の株式会社一般をも含むと解しても、これ「……ヲ管理スルノ権」とは何かが問題である。申請人は会社取締役たることを以てこれにあたると主張するのであるが、昭和二五年法律第一六一号による商法の改正によつて取締役の法制上の地位には大きな変更が加えられ、現在では、会社の業務執行を決するのは合議体である取締役会に限り、各取締役はその構成員たる地位において業務執行に関与するに過ぎず、改正前の様に株主として必ず株主総会における議決権があるとも限らず、また各自に会社の代表権を持つわけでもないのであるから、取締役たることのみで直ちに会社を管理していることにあたるとすることには疑問がある(あるいは少くとも代表取締役については、これにあたると見得るとしても、その場合申請人主張の資格喪失の効果は代表取締役たることのみに及んで取締役たることに及ばず、従つてやはり本件の商法第二五八条の問題とはならぬであろう。)別の面から言えば、株式会社取締役たる地位が旧刑法第三一条・第三三条の「公権」とせられる結論自体に吾人の法意識にそぐわぬものがある。今日(後第七節にあげる特定諸業種や公社、公団等の名称を有する企業体を除いて)通常の商事会社の経営は、個人たる商人の場合に異ならぬ私的な利潤追求の行為として理解せられるのが常であり、取締役に要求せられるところは右の意味での経営能力に過ぎないのであるから、この地位に伴う権能を公権視せしめる契機は見出し難い。そして有罪判決を受けたからといつてこの権能を剥奪停止することは、会社経営上合目的的でない場合があり得るのである。ことに、執行猶予中のものについての停止は――公権中の公権である選挙権被選挙権でさえ執行猶予者はこれを失わないこととされているのと比較しても――殆んど不合理との感を禁じ得ない。また、もしかかる剥奪停止を励行するつもりならば、会社設立に際しての取締役の登記やその後の変更登記等においてこの点の資格証明書類を必要とする法制があつて然るべきであるのに、現行法上かかる書類は要求されていないことも考え合せられるべきである。これらは、いずれも、この第八号の条文は、商法法規の不備を補う現行法として通用せしめるべきでないのではないか、との疑を懐かしめる理由である。

六  前三節の考察を総合して、当裁判所は旧刑法第三一条第八号の現行性を消極に解する。そうすると、第二節に示した理路から、刑法施行法第三六条は、本件の様な株式会社取締役については適用を見ない、ということになる。

七  かりに、一歩譲つて旧刑法第三一条第八号の現行性を肯定するとすれば、同号にいわゆる「会社」とは、その立法当時の意義に鑑み、現在においては、銀行業、電気事業、鉄道事業等、業態に公共的意義を有し、現に国家的規制を受けるいくつかの特定業種の会社のみを意味し、普通の商事会社は包含しない、と解すべきである。――法文の解釈自体はもとより立法時期に拘泥すべきでないが、この場合にはわが国における近代法制確立期以前の所産にかかる法律の一部が異質な法体系中に残存しているのであるから、解釈にもその点は顧慮すべきであり、そのまゝでは現行法体系と齊合しない用語に他の法典におけるとは異る意義を盛ることも許されなくてはならない。例えば、同条第六号に「裁判所ニ於テ証人ト為ルノ権但単ニ事実ヲ陳述スルハ此限ニ在ラス」とあるのなど、その現行性はさておき単に法文の意味からも、現行民刑事訴訟法上の「証人」を念頭においては不可解であり、「鑑定人」を意味したのであろうか、という様な、文理からかなり離れた解釈が必要とされる。この様な法文と並ぶ第八号の「会社」は必ずしも現行商法上の「会社」と意味内容を等しくするには及ばないのである。――従つて、普通の商事会社である本件株式会社については、結局前節の結論が維持せられることになる。

八  かりにこの点を譲つて、株式会社取締役たることが旧刑法第三一条第八号の「……会社……ヲ管理スル」ことにあたり、その権能は同条の公権であり、従つてまた刑法施行法第三六条の公権であるとしても、その故に申請人の言う様な資格喪失の効果が生じるであろうか。一定の資格とこれに伴う権能とは同じではなく、現に旧刑法第三三条が官職の喪失と公権の停止とを区別している文言の体裁から見ても、権能の制限は資格の喪失を当然に意味するものではない。本件の場合、一定の有罪判決の要件の下に公権停止を規定する刑法施行法第三六条の法律効果としては、単に「……会社……ヲ管理スルノ権」を行うことを停止せられるに止まるから、取締役たるの地位はそのまゝで、職務執行のみが停止されると解すべきであり、そのことからする不便・不都合が辞任ないし解任によつて解決せられることは格別、解釈論として当然の資格喪失を結論することは穏当でないと考えられる。

九  以上色々の点から考察したが、結局刑法施行法第三七条・第三六条及び旧刑法第三一条並びに第三三条の適用によつては取締役の地位の当然喪失の結論は出て来ないということになる。(申請人の援用する大正一四年の大審院決定は、右各条文を羅列適用するのみで、右に示した疑点に答えていないし、事案も刑の執行猶予中の者に関するわけでないし、ことに前記の様に右決定後商法は改正せられて取締役の法的性質も変つたことであるから、現在においては必ずしも維持するに足りないと思料される。)そうすると、この当然喪失を前提として、商法第二五八条の適用を論ずる本件申請は、その余の判断に及ぶまでもなく失当であるから、これを却下することとして主文のとおり決定する。

(裁判官 倉田卓次)

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